もどかしく簡単には見えてこないものたち

わかりやすさと、わかりにくさ、について考えてた。

これでは、簡単にしすぎて説明が足りないかな。

たとえば、メジャーなハリウッド映画と、芸術性が強かったり難解さがあったりして、大ヒットにはなりにくい単館系の映画。

どちらにもそれぞれの良さがある。

ドラマチックでわかりやすい映画を観て、ハラハラドキドキしたり、大笑いしたり、号泣したり。
それでスッキリして元気になることも多いしね。

だから良し悪しではなくて。

ただ、わたしが惹かれた映画たちの特徴をあらためて考えてみたくなった。

 

 

わたしは、10代の半ば頃、映画に夢中になって、できるかぎりのなかで、いろいろな映画を手あたりしだいに観ていた。

わたし自身は、どちらかというと、等身大の人の心の微妙なうごきを、映しだしている映画が好き。

最近、アンドレ・バザンというフランスの映画批評家の本を読んで、そのどこに惹かれていたのか、理解できたところがあった。

このタイプの映画は、ときにもどかしく思える展開もあるけれど、

心の深いところにまで染みこんで、ふとした瞬間に、まるで自分が実際にした体験のように濃く思いだされ、胸がふるえることもある。

ハッキリと言葉で説明しにくい曖昧さや、現実の暗さや切なさを目のあたりにさせられ、けれども同時に、日々の暮らしへの愛おしさが静かにあふれてくるような。

心に残る映画のひとつ『小さな泥棒』

 

わたしは、こういった映画の作用が、フォーカシングと似ているんじゃないかな、と思う。

フォーカシングは、まだ言葉にならない、微妙な体の感覚を言葉にしていく作業。

カウンセリングの現場において、スラスラと話をするクライアントさんのセッションはうまくいきにくく、

ときには黙りながら、胸のうちを探り、何度も言い換えながらしっくりとくる言葉を選んで話したクライアントさんとのセッションは、うまくいく傾向があった。

この現象に気づいたところから、フォーカシングは発見される。

わかりやすい映画は、難しいことを考えずに楽しめるのがよさで、それは、自分の感受性や想像力をあまり使わなくてすむ、ということでもある。

ここでわかりにくい映画としているのは、ハッキリと言葉になっていない雰囲気や象徴、が豊かに含まれている、という意味なんだけど、これは自分の感じる力を大いに働かせなきゃならない。

この作用は、自分の本質に気づき、いきいきとした生命力を育むこととつながってる気がする。

わたしが強く惹かれていたのは、こういうところだったんだろうな。

 

 

 

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